クラス委員ブログ

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2018.01.26

山伏「生まれ変わり」入門クラス

【第2回】山に入ると、どうして「生まれ変われる」の?

山伏クラス2回目の講座は、
木戸寛孝さんによる『山に入るとどうして生まれ変わるのか』
と言うテーマでした。

ほんと深い。。深すぎる。。。

木戸さんの話される世界観はとても背景が広く、
講義での話をすべて説明しようとすると際限がない上に、
私には扱いきれないくらい広がってしまうため、
かいつまんだ内容で紹介したいと思います。
山伏修行は、同じ山に入るとしても、
レジャーとしての登山やトレッキングとは全く違います。
むしろ祈りをともなう行為であり、

自分自身もまた自然の中にとけあう一つの存在である

ということを知る作業でもあると思います。

そして山伏の修行における生まれ変わりとは、
比喩的な表現ではありますが、
社会における『通過儀礼』の一つとして捉えられます。
例えば、狩猟民族の若者が荒野にたった一人で
出かけて大きな獲物を仕留めてくる儀式、
日本の武家社会での「元服」。

これらは子ども時代と決別し、一人の大人として、
社会に認められるための通過儀礼であり、
ある種の生まれ変わりの儀式です。
それまで暮らしていた安心できる世界から飛び出すことで
変化と成長を経験し、元の世界に新しい存在として
戻ってくるモチーフには、
様々な神話や英雄譚のモチーフとしても使われており、
映画『スターウォーズ』でのルーク・スカイウォーカーや
『ロードオブザリング』のフロド・バギンズの冒険も
同様と言われています。

現代社会においては、これらの通過儀礼の多くが失われています。
このため、幼い頃から植え付けられた固定観念を手放す機会が失われ、
外側から与えられた価値観を自分のものとしたまま
大人になって行きます。
しかしその価値観とは、本当に自分自身の感覚と経験から
基づいているのでしょうか。
自分自身の魂は生きていると言えるのでしょうか。

山伏修行は、この『通過儀礼』の疑似体験です。

通過儀礼は、自らの意識を開かせるきっかけであり、
問題の本質が自分の内面にあるという自覚を促します。
善であると思ってた事柄でさえただの固定観念
でしかないかもしれないと疑い、
自分が世界をみつめていた窓=固定観念=仮面を外し
「何者でもない」ニュートラルな状態に入ることが、
隠喩としての「死」です。

この状態の内的な変容をとげた自分が
世界と向き合うことで、内と外が和解し、
新たな世界へ生まれ変わることになるそうです。

何かを終わりにする時、内側の自己変容を終えてからでないと、
きちんとした変化するをうながすことができないのです 。
山伏修行は、外側の世界との対比ではなく
常に内側の世界へと問いかけて続けていく時間であり、
今ここ、だけが浮き出てきます。
だからこそ

「感じることから始めなさい。感じたことを考えなさい」

という先達の言葉が出てくるのでしょう。

これまでの自分を初期化して、未来へ向かう力としていく。
この力を持つことが「魂が強い」という状態なのかもしれません。

講義の結びとして言われたことですが、

生まれ変わりの世界観とは

・内と外の違いに目を向けること
・その違いを作っている視点のフレームを手放し、ニュートラルになること
・そこから現実世界に戻ってくること

の3つであり、

今ここに立ち戻って、未来に向かって歩き出すためのものだそうです。

聞けば聞くほど、山伏の世界に惹き込まれます。
ぜひフィールドワークで、この世界観を体感してみたいと
思いました。

次回は加藤丈晴さんの「宿坊は、「人生を学ぶ」ための大人の学校?」
というテーマでお話いただく予定です☆

※「クラス委員ブログ」に記載された意見や表現などは、各記事の執筆者個人の意見・表現であり、
丸の内朝大学企画委員会によるものではありません。

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