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2018.05.22

戦国武将と城探究クラス

【第4回】城を守る仕掛けの数々

5/14(月)
本講座もあっという間に折り返しの4回目を迎えます。今回のテーマは[城を守る仕掛けの数々]
戦闘の舞台でもあったお城には、敵の侵入を防ぐための数々の複雑な仕掛けが施されており、その秘密を学んでいきます。

戦国時代には約50,000もあったとされるお城、なんと!その数は日本のコンビニと同等とのこと。

それらは立地により3つに類型されます。

 

[平城] 平地に築かれた城(松本城など)
[平山城] 麓からの高さ20-100mほどの丘陵に築かれた城(姫路城など)
[山城] 麓からの高さ100m以上の山に築かれた城(岐阜城など)

 

戦国時代に存在した城の約9割は山城であり、山城と同じ要塞をお金をかけて土木工事で実現した平城は、江戸時代になって増えていきました。

 

 

 

築城における基本設計=経始を[縄張]といい、その基本は曲輪(郭)の配置により平坦地を区画したものです。

一般的なお城は[内郭]のことで、本丸・二の丸・三の丸・東の丸…などで構成されています。

一方、[外郭]とは内郭の外に配置された惣構(城下町を掘と土塁で囲んだもの)や、出丸(離れた場所に設けた曲輪)を指します。

大河ドラマとなった真田丸はこの出丸のことであり、その大阪冬の陣の後に徳川が埋めてしまったのがこの惣構のことだったのです!
こうした曲輪配置も3つに類型されます。

 

[連郭式] 山城に多く、尾根上に本丸・二の丸・三の丸を連ねて配置(彦根城など)
[梯郭式] 平山城に多く、本丸の周囲を二の丸・三の丸で囲い込むように配置(岡山城など)
[輪郭式] 平城に多く、方形の曲輪を本丸・二の丸・三の丸と同心円状に配置(山形城など)
このような地形による防御だけでなく、土木工事による防御の工夫もこらされていました。

 

まずは敵の動きをおさえるための[堀]です。
侵入を防ぐために平面に掘られた[横堀]、また平行移動を阻むために斜面に掘られた[堅掘]があります。
また尾根続きの通路を遮断し城外からの侵入を防ぐための[堀切]もありました。
そして水が引き込まれた[水堀]と、引き込まれていない[空掘]とがありましたが、これはどちらが劣っているというものではなく、例えば名古屋城はどちらも存在するなど、使い分けて築いていたのです。
さらにこうした掘底には敵の接近を阻む細工も施されていました。
その他の防御のための仕掛けには、

[切岸]
曲輪の周囲を削って人工的に造成した急斜面で敵が這い上がるのを防ぐもの。
木などを抜いて自然の地形を利用。

[土塁]
累線に沿って設けた盛土。
当時は3m以上の高さがあり、城外から見透かされないよう土塁の上には堀や柵を設ける。

[石積と石垣]
塁線の壁としたのが石垣で、土塁や切岸の土止めとして用いられたのが石積み。
利点は斜面をきつくしても崩れにくく、またギリギリまで建造物を建てることが可能なので、敵の侵入を防げる。

[虎口]
最大の弱点となる出入り口。
できるだけ小さくするよう「小口」、虎の歯牙に例え「虎口」と呼ぶ。

[横矢掛り]
塁線に凹凸を設けた仕掛け。
虎口や塁壁の各所を屈折させ複数の方向から敵を射撃。

[馬出]
虎口の前面に設けた攻撃拠点。
馬=軍勢のことで、城内の動きを見透かされないようにし、出撃の際の橋頭堡とする。

[井戸]
籠城時の飲料水確保。
などなど、土木工事によりさまざまな防御のための仕掛けが施されていたのです。
また、建築物にも様々な工夫がなされています。

[門]
虎口に設けられた建造物。
高麗門…敵の侵入をよく見えるように尾根を小さく。
櫓門…門の上から攻撃が可能。

[橋]
横堀や堀切を渡るために設置。
敵が渡りにくいよう細かく架橋。
土橋…破壊されにくく重要な虎口の前に。
木橋…破壊されやすく撤去すれば敵の侵入を防げる。

[掘と柵]
防御のため石垣や土塁の上に設けられた設備。
板塀…火攻めに弱く戦国時代には少ない。
土塀…江戸時代は漆喰で塗り籠め白色に。
…安価なため外郭など距離の長い塁線に。
狭間…射撃のための鉄砲狭間、矢狭間、大砲狭間。

[櫓]
城の中の戦闘の拠点。
平時には矢を保管し、戦時には射撃が可能。
番号をふる一番櫓、ニノ櫓…
かなで呼ぶいの櫓、ろの櫓…
曲輪内の四隅に建てる巽櫓、坤櫓…
用途による弓櫓、鉄砲櫓…
など様々な呼称が。

[多聞櫓]
長屋になっている櫓。
掘を建物にしてしまったもので雨の日も問題なく防御力は最大。

[天守]
城の象徴。
櫓との構造的違いはなく、城内で最大の櫓が天守。
望楼型…戦国時代から江戸初期に普及し、望楼が御殿の上に載る形。
層塔型…下層から積み重ねていくので高層の建築が可能。

 

 

 

こうした時代において、築城の二大名人と呼ばれていたのが加藤清正藤堂高虎でした。熊本城・名古屋城天守台などを建てた加藤清正は、「清正流(せいしょうりゅう)」と呼ばれる石垣作りの名人。
藤堂高虎は、単純な縄張りながらも石垣や堀で守りを固め、徳川家康に頼まれ自分以外の城も数多建立したのです。

以上、体系的な知識としてお城の複雑な仕掛けを学ぶことができました。

普段の観光ではなんとなく見て廻るお城でしたが、こうした地形・土木工事・建造物により施された様々な工夫の知識を持って改めて見ることで、その時代背景により想像を馳せながら、新たな発見もって楽しめるようになりそうです!

次回は第5回[城の攻め方守り方]を学びます。

 

クラス委員:じぇんとる & のりぴー

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丸の内朝大学企画委員会によるものではありません。

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