朝大学Stories vol.001

「ノートのない世界」の中で、
一生やり続けられるものを見つけてほしい。

楠瀬誠志郎
アートボイスメソッドクラス講師

目に見えないワクワク感が、
今の道に進む原動力に。

朝 7 時、ニッポン放送・イマジンスタジオに入ると、「おはようございます!」と楠瀬先生が満面の笑みで迎えてくれます。このハツラツとした声、さわやかな笑顔に元気とエネルギーをもらいたいと、このクラスを受講する人も少なくありません。仕事に追われた毎日を過ごす受講生にとっては、忙しい気持ちをリセットし、清々しい一日をスタートするための、ちょっと特別で豊かな時間なのです。

20 代の頃からボイストレーニングの研究・指導と作曲家・歌手の二本柱で活動してきた楠瀬先生。声楽家であり、日本のボイストレーニングの草分け的存在だった楠瀬一途の長男として生まれ、幼少の頃よりボイストレーニング・発声学を学んできました。両親は、“一番上の子は音楽家として跡を継がせる” ということを早くから決めていたそうで、楠瀬先生はその方針に逆らうことなく、18 才の頃に父のアシスタントを務め始めます。

「きっと歌舞伎の家もそうなんだろうなと思いますが、この先どうしようかという大きな悩みもなく、父の跡を継ぐことを素直に受け入れることができました。家業のようなものですからね。でも、そこに行き着くまでに父がワクワクを維持させてくれたことが、大きかった。音や響きという“目に見えないものを楽しむ力”を、父からすごく教えてもらいましたね。父には見えて自分には見えない悔しさがずっとあったからこそ、ワクワクしたまま、自ら好きでこの世界に飛び込むことができました」

楠瀬先生にとって一番の師でもあった父は、25 才の頃に他界。生前に「このボイストレーニングのメソッドを音楽の世界だけに閉じ込めるのではなく、一般の人たちに伝えなさい」という言葉を遺しました。それ以来、一般の人に伝えることが、人生の大きなミッションとなります。そこで、20 代、30 代は発声学に基づくボイストレーニングの研究を行いながらも、音楽活動に力点を置き、音楽で答えを出すために突っ走る。そして 40 才からは、父のやってきたことを広く伝えることに力を注ごうと心に誓いました。そして自らの計画通り、40 才になってすぐにボイストレーニングの方へと大きく舵を切ったのです。

ボイストレーニングと音楽の二本柱が、
人生にバランスをもたらした。

多くの悩みを抱えながら、がむしゃらに前へと突き進んだ20代。苦悩の日々だったからこそ、声を出すことが、自分自身によい影響をもたらすことを強く実感できたと振り返ります。

「ボイストレーニングを継ぐことと、音楽で答えを出すこと、その両方をやりたいけど、『いっぺんにはできない!』と、20 代の頃はすごく悩んでいましたね。次々に生まれてくる悩みを声に出して消していくような毎日でした。苦しかったんですが、声を出すということに大いに助けられました。歌って声を出していたから、心が折れずに済んだというか。自分がやっていることが、自分に返ってきたことはたしかです。声を出していなかったら、どうだったんだろうと思いますね」

そんな日々から一転、「ほっとけないよ」をはじめ、数々のヒット曲を世に送り出した 30 代は、やるべきことがより明確になり、とても透き通っていた時期だったといいます。それも、やはりライフワークとしてボイストレーニングを続けてきたこと、何よりボイストレーニングと音楽活動の二本柱で長く歩んできたことが大きな力となったそうです。

医者・看護師に向けた医療現場でのレッスンの様子。コミュニケーションを左右する声を磨くことは、どんな職業の人にも重要な意味を持つ。

「ボイストレーニングは、それだけで終わったらだめなんです。何かと一緒にやって始めてその意味がわかってきます。ボイストレーニングと教師、ボイストレーニングとプレゼンテーター、ボイストレーニングと役者とか、両輪でやって初めてものすごく力を出せるところがあって、ボイストレーニングのほかに、何か自分の基盤となるものを持つことが大事だと思いますね。やっぱり何にしても、今やっていることが自分のすべてだと思ったら、それはまったくの錯覚です。それは生活のためにやっているだけであって、生きるためにはもっとやっていいことがいっぱいある。だから、今のことだけで自分を解釈するのではなく、“自分ってこの幅だけではないぞ” と考えるのが、すごく大切なことだと思います」

一から何か新しいことを探すより、今やっていることをもっと生かすという視点を持つと、新たに挑戦したいことがよりクリアに見えてくるのかもしれません。父がつくり上げたコンセプトを受け継ぎ、さらに進化させて、今の時代に合ったボイストレーニングのメソッドを確立できたのも、そうした自分自身の経験がすべて生きています。

「ボイストレーニングのレッスンを受ければ、声が変わるのは間違いないですが、それが最終目標ではありません。そこから個の人間としての生きる力、何かやってみようと思える力が生まれることが一番大事なことなんです。それによって、今まで言えなかったことが言えるような人間になれたら、それだけでも大きな一歩だと思っています」

決定力を発揮することが、
新しい一歩を踏み出す近道。

アートボイスメソッドクラスの受講生の多くは、授業の回を重ねるごとに、声だけでなく、顔つきも目に見えて明るい方向に変わってくるのだそうです。自分の顔の変化を見て実感してほしいと、楠瀬先生は指導の合間に、受講生一人ひとりのいきいきとした表情を自らカメラに収めていました。そんな楠瀬先生自身も何だかとても楽しそう。

「最初はみんな自分に対してすごく否定した状態で来られているのですが、だんだん肯定的になっていく変化を見れることは、とても幸せです。『私なんて』と言っていた人が変わっていく、その姿があったからこそ、僕はこんなに長い間続けてこれたのだと思います。大変なことも多々ありますが、それ以上のものをみんなに見せてもらっている。そのことに助けられています」

声の変化とともに、人の性格や心の持ち様までも変化していく。それを目の当たりにできることが、この活動の醍醐味であり、一番のやりがいとなっているのです。

ボイストレーニングの普及に尽力しながら、アーティスト活動も継続。多くの人に力強い歌声を届け続けている。

「もし本当に何かに悩んでいるなら、最終的には人間に関わる仕事をした方がいいですよ。人間に直にふれる道を選んだ方が悔いがない。音楽では人にふれているように思えますが、CD は誰もいないところで歌っていますし、コンサートはつくられたものですから、それだけじゃないという思いはずっと持っていました。悩んだら、人間が目の前にいる方を選べ。その方がつらいけど、間違いなく幸せは大きいです」

そう話す楠瀬先生の言葉には、心からの実感が込められています。

授業の中で、楠瀬先生から「感じてから考えよう」というフレーズが何度も出てきたのが印象的でした。これは朝大学で講座を始めた初期の頃に考えついた言葉だそうです。

「朝大学の受講生は本当に熱心で、座学は山ほど経験してきた優秀なインプット力の人たちばかりですが、このクラスはアウトプットのトレーニングです。強力なインプットの力をアウトプットに向けていくことは、最初はものすごく難しかったですね。みんなとにかくノートをとろうとするんです。カラダの振動をどうやってノートにとるんだと(笑)。感じるより先に頭で考えてしまうんですね。『感じてから考えよう』と言い続けたのがよかったのか、今ではみんな早い段階でアウトプットの方に向かっていけるようになってきました。そうして、自分の“本当の声”が出せるようになると、悩みに決定が出せるんですよ。考え込む前に、『こうしよう!』『決めた!』と自信を持ってすぐに声に出せちゃう。決定できるか、できないかで悩んでいる人が非常に多い気がしますが、やることがない、あるという前に、決定力を持つことが 30 代はとっても大事です。決定力がある人は、幸せになれる力が強いと思いますね」

悩みを悩みとする前に、決定力を身につけて、発揮することが、新しい一歩を踏み出す近道になりそうです。そのために、私たちが日々の中で今すぐ実践できることはありますか?

「今の仕事を何一つ否定することなく、自分のカラダを通して、一生やれるものを一つ見つけてやってほしい。一年、二年で結果が出るものではなくて、月一回でもいいから、一生やり続けられるものを見つけてほしいですね。ボイストレーニングでも、ヨガでも、肉体を使ってやるものなら何でもいい。とにかく “ノートのない世界” の中で、何かを回数を決めずに一生やる。そうすると、本当の意味でのバランスというものがわかってくると思います。自分で決めてやってみることが大事で、そうすることで正しい判断ができる自分にぐっと近づくはずですよ!」

楠瀬 誠志郎
Breavo-para 主宰

発声学の草分け的存在、故楠瀬一途の長男。幼少より発声学を学ぶ。1977 年より渡米。父の膨大な研究資料をもとに「日本人の生態にあったボイストレーニング」の研究を受け継ぎ未だなお研究は続いている。自己もアーティストとして 13 枚のオリジナルアルバムを発表。2006 年表参道にボイストレーニングスタジオ Breavo-para を設立し、「表現」の素晴らしさ、楽しさ、気持ちよさを伝え続けている。

【2015 年度担当講座】

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