わけもなくそそられる、
シズル感を日々追い求めて
一目見た瞬間に「おいしそう!」と思わず反応してしまうビジュアルには、わけもなく“そそられる”魅力があります。
「なんだかわからないけど心を動かされる。そんな写真に共通してあるのが“シズル感”です。例えばビールは、泡がグラスからあふれんばかりにプワ〜と膨らんでいるあの瞬間が一番おいしそう。アイスクリームはスプーンですくった時に、下は溶けているけど上の方がまだ少し固いようなあの感じがちょうどいい。そういう絶妙な一瞬を狙うことってなかなか大変なんですよ」
極限まで研ぎ澄ませた感性で、食材や料理の生命力を切り取る。そうして生み出された表情のあるビジュアルからは、フォトグラファーの被写体への愛情までも伝わってきます。そんなシズル表現を日々追求しているのが、シズルクリエイタークラスを担当する大手仁志先生。食のフォトグラファーの第一人者であり、普段何気なく目にしている牛丼やドーナツ、ピザなど、実に多くの食に関わる広告撮影を手がけています。大手先生の名刺には、フォトグラファーの上に“シズルディレクター”という見慣れない肩書きが。そこには、フォトグラファーである前においしさをトータルでディレクションする立場でありたいという大手先生の姿勢が表れています。
高校生の頃からデザイン科で学び、表現することが好きだったという大手先生。もともとイラストやデザインに興味がありましたが、写真と出会い、そのおもしろさにのめり込んでいきます。写真を専門とする大学に進学し、卒業後は広告撮影を行うスタジオに就職。アシスタントからスタートし、2年目にフォトグラファーに昇格しました。オーディオ、車、化粧品など多種多様な商品の物撮りを手がけ、それは目の回るような忙しさだったそうです。
「アシスタントからフォトグラファーになったのは、ちょうどバブルの終わり頃。ものすごい仕事量で、何カ月も家に帰れないほどの忙しさでした。先輩に教わる余裕もほとんどなく、たくさんの現場で試行錯誤しながらほぼ独学でここまでやってきました」
食品も数ある被写体の中の一つでしたが、30代に差しかかった頃、食を専門にやっていくことを決意します。それにはどういうきっかけがあったのでしょうか。「食いしん坊だから、自ら食の方向にシフトしていったんですよ」と前置きした後、食の撮影に目覚めた当時のことを話してくれました。
「年に一度、アシスタントからフォトグラファーになるための昇格試験がありました。自分の作品をプレゼンして合格したら、フォトグラファーになれるんですが、その作品の被写体として、デパートで“彼女にプレゼントするふり”をして香水の瓶を買ったりしていたんです。アシスタントは給料が安いので、それを買うのも必死でした。そんなものを買っても使わないし、何かほかにないかなと考えるようになった時、食べ物にしようと思い至ったんです。というのも、撮影が終わったら食べられるんですよ(笑)。食費の一部で作品が撮れる。食べることが好きというのもあって、スーパーで変わった果物を買ってきて、撮影後に食べてみたり、冷凍のピザを買ってきて、撮影後は夕飯になったり。貧乏なアシスタントにとっては食べるものが一番よかった。それが食べ物をたくさん撮るようになった一つのきっかけですね」
作品づくりのために“ちょうどいい”被写体が食べ物だったーーでもその根底には食への好奇心があったことは言うまでもありません。それだけでなく、食べ物は被写体として他のどんな商品よりも魅力的だったそうです。
「やっていて一番難しいのが食の撮影でした。他の商品撮影は、1〜2年やればなんとなくゴールが見えてくるんですが、食べ物は全然ゴールが見えないんです。というのも、他の商品はちゃんとデザインした人がいて、デザインされたものをより伝わるように考えて撮るので、ある程度コントロールすればうまく撮れてしまう。でも食べ物はデザインされていないものがほとんど。三つ星フレンチのシェフが盛り付けたプレートのように、美しくデザインされたものもありますが、それはそのまま撮っただけでキレイに写ってしまう、いわばスーパーモデル。大半の食品や料理は“近所のおばちゃん”のようなものなんです。おばちゃんの一番魅力的な部分を見つけ出して、ちょっと引っ張り出したり、ソースをかけてみたり、少しだけ角度をずらしてみたり。普通のものをより魅力的に撮ることがおもしろさであり、ゴールができない難しさでもあります。今でも終わりはなく、毎回新しい発見の繰り返しです」
経験すればするほど、
自分の引き出しは増えていく
食べ物に流行廃りがあるように、おいしさの価値観も時代によって少しずつ変化します。より多くの人の心を揺さぶるシズル感を表現するために、日々どのように感覚を磨いているのでしょうか。
「普段から何かを食べる時に、気づくと観察してしまっていますね。例えば、お鍋を前にすると、どのぐつぐつ加減が一番おいしそうなのかなとじっと見てしまったり。街を歩いていても食べ物の写真がいちいち気になるし、スーパーも好きでよく行くんですが、食品のパッケージを一個ずつ見たり、棚全体を見て一番いいパッケージ写真はどれかなと考えたり。何も買わずにうろうろしていることも多いので、そのうち目をつけられそうなんですが(笑)。やっぱり好きな被写体だから、長く続けられているのかもしれません。ずっとやっていても嫌にならないんです」
こちらは撮影現場でよく見られる瞬間。撮影時には料理の盛り付けや食材をシチュエーションにあわせて、自ら整えることも必要なスキル。そのまなざしは真剣そのもの。
海外の撮影では、“おいしさの感じ方の違い”に戸惑うこともよくあるそうです。
「食文化が違うと、おいしさの価値観も違ってきます。以前韓国で日本式のうどんのパッケージ撮影をしたんですが、日本人の感覚で言うと、うどんの麺はスープの下におさまっているもので、スープより上に麺が出ていると、のびていると思いますよね。なので、うどんが見えないようにして撮影したら、韓国のディレクターに『おいしそうじゃない』と言われて、結局スープの上に麺を出して撮影したことがありました。こんなことは一度経験してみないとわからない。こうした気づきがたくさんあるから、おもしろいんです」
最初の頃は目標とする表現に辿り着くまでに、膨大な時間がかかったり、失敗をすることもたくさんあったそうです。そんな経験の積み重ねが、フォトグラファーにとって何より大切なことだと言います。
「撮影の仕事というのは、経験すればするほどスキルは磨かれていきます。一つの撮影に6時間かかったら、次は同じ撮影を4時間でできるようになる。そこに新たな気づきをプラスしていくことで、どんどんステップアップしていけるんです。もう20年以上も食の撮影をやっているので、自分の中にたくさんの引き出しがあります。『これを撮ってください』と言われたら、こういうライティングにして、こういう背景にしようというアイデアが自然と出てくるんです。すべては経験ですね」
たくさん撮影することが、
上達への近道
スマートフォンで気軽に写真を撮って、SNSで発信することが日常となった今、せっかく多くの人たちと写真を共有するなら、見る人にちゃんと伝わる写真を撮らないともったいないーーそんな思いから、大手先生は“伝わる撮影”のコツを朝大学の受講生たちに伝授してきました。春のクラスに続き、2回目となる今期は募集開始から“瞬殺”で定員となり、40人の受講生のうち約10人がリピーターです。
「朝大学の受講生のみなさんは、モチベーションが高い方ばかりで新鮮ですね。みんなギラギラしていて(笑)。春クラスの初回の授業で牛丼の写真を見せたんですが、その何時間後かに、facebookのグループ上で『牛丼の写真を見て、思わず牛丼食べちゃいました』という投稿がありました。すると、その後も続けて4人が『私も食べました』と次々に写真をアップするという“牛丼テロ”が起きたんです。それぞれの写真に『もうちょっと上から撮った方がおいしそう』とかいう感じで何気なくコメントをつけていったら止まらなくなって。それからは寝る前の一時間はシズルクリエイタークラスのページをチェックして、すべての投稿にコメントをして寝るというのが日課になっていました(笑)。
授業が終わった今もみなさん “自主トレ”と言いながら、写真を頻繁にアップしてくれるので、すべてにコメントしています。そういう前向きな気持ちでやってくれるのがうれしいし、実際に写真もすごくうまくなっています。その意欲に応えたくて、僕もつい頑張ってしまう。みなさんは僕たちのモチベーションを上げてくれる存在ですね」
「ヒュー」の社内には国内最大級のキッチンスタジオを併設。こちらの食器庫のほか、食のイベントを開催するカフェラボ、食に関する本が並ぶライブラリーなどが揃う。
睡眠時間を削ってまで、投稿された写真すべてにコメントをつけるという面倒見の良さ。被写体に愛情を持って向き合うのと同じ、大きな心で受講生たちを見守っています。そんな大手先生の人柄も多くのリピーターを生んでいるのです。
「とにかくたくさん撮影することが、上達への近道です。僕が教えられるのは、伝わる写真を撮るためのちょっとしたコツだけ。あとはみなさんがそれを生かして、どれだけたくさん撮影するかだと思っています。だから自主トレはとても大切。みなさんすごく頑張ってやってくれているので、逆にプレッシャーもありますけどね(笑)」
食の方向に進み、その道を極めてきた大手先生は、2005年に食の撮影を専門とする会社を設立。ビジュアル制作だけでなく、食のイベントやワークショップを定期的に開催するなど、食の可能性を深く掘り下げ、その楽しさを広く伝える活動にも力を入れています。30代の頃は閉塞感や焦りを感じることもあったそうですが、難なく乗り越え、活動の幅をどんどん広げてきました。それは何事も全力で楽しみ、ワクワクできる前向きな心を持ち続けてきたからこそでしょう。
「20代前半からずっと現場で経験を積んできましたが、だんだん行き詰まってくる感覚はありました。後輩の方がうまく見えちゃったり、訳もなく焦ってしまったり。30代は自分を見失ったり、ふと立ち止まってこれからの生き方を考える年代だと思うんですが、常に前を向いて自分を信じてまずはやってみること。ダメだったらまた変えればいいだけのことで、まだまだやり直しがきく年代だと思うんです。頭で考えていないで、どんどんアクションを起こしてもらいたい。朝大学の受講生のみなさんは“考えるより先に動く”ような方ばかりなので、その持ち味をもっともっと加速させてほしいですね」
大手 仁志
フォトグラファー
「食」の撮影を専門とするスタジオhue代表取締役。1965年栃木県生まれ、1985年株式会社アーバンパブリシティ(現・株式会社アマナ)に入社。その後30年間に渡り「食」に関する広告写真の撮影、ビジュアル制作に携わる。食材や料理がもつ生命力を切り取り表現することが食のフォトグラファーの使命と考え、数多くの広告賞を受賞。
公式サイト「hue」http://www.hue-hue.com/