朝大学Stories vol.008

温泉に入ると、
そこから幸せが始まる。

石井宏子
温泉検定クラス講師

儲けがなくてもやりたいのか、
自分自身を問い詰めた

「旅人が人生になって、10年目になります」 さらりとこう話すのは、「温泉クラス」で講師を務める石井宏子先生。“旅人が人生”とは、なんていい響きだろう。その言葉の通り、石井先生は“旅に出かけて宿に泊まること”をライフワークとし、年間200日ほど温泉地に滞在。温泉の美容力を研究する日本で唯一の“温泉ビューティ研究家”として、さまざまなメディアで発信を続けています。

そんな石井先生の旅好きの片鱗は、幼い頃からすでにあったそうです。

「子どもの頃から旅行のパンフレットが絵本よりも大好きで、よく眺めていました。時刻表を見て、旅の計画を立てるのも好きでしたね。今になって考えると、あの頃が今につながっているんだなあと思います」

もともと外資系の化粧品会社や商社などで、マーケティング・広報の仕事をしながら、休日を利用して日本中を旅してきた石井先生。“旅人”として生きていく転機は、一体どのように訪れたのでしょうか。

「会社員時代から、旅の前に宿が好きで、泊まってみたいと思うところに月に何度か訪れていました。そうやって旅をコツコツと続けて、将来は本にまとめられたら、とひそかに思っていたんです。そのうちに、日本の宿は温泉がつきものなので、せっかくなら温泉のことも勉強してみようと思うようになって。温泉の本を読み、講座にも通い始めたのですが、その内容は健康に関する効用のことばかり。例えば、“硫黄泉は皮膚にいい”と書いてあっても、なぜ皮膚にいいのかは説明がないんですね。なぜなんだろうと、勉強すればするほど興味が湧いてきました」

温泉の効用への探究心は、化粧品会社で長く働いていたことも少なからず関わっていました。

「化粧品の新製品を出す時は、こういう新たな成分が加わって、肌のどの部分にどういうふうに働いて、もっと美しくなりますよ、という訴求をして売っていきます。一方、温泉には“美人の湯”というのはたくさんあるけど、一体何が肌にどう働いて、どう美人になるのかは、どこにも書いてないし、誰に聞いてもわからなかったんです。でも絶対に根拠があるはずだと思い、自分なりに研究を始めてブログに書いているうちに、取材や講演の依頼がどんどん来るようになりました。私の個人的な研究にこれほど興味を持ってくれる人がいるんだという驚きと同時に、神様が『本気で温泉と向き合う気がありますか』と聞いているような気がして。それで、真剣に温泉と向き合う時間をつくってみようと思いました。そのためには、どんどん温泉に出かけないといけない。そうなると仕事との両立は難しいので、思い切って会社を辞めて、独立に踏み切ったんです」

会社員として積んできたキャリアを捨ててまで、前例のない世界に飛び込む。それには、やはり大きな覚悟が必要だったのではないでしょうか。

「儲かるか儲からないかとか、それでほんとに食べていけるのかとか、そこまで考えてしまうとなかなか一歩を踏み出せないと思うんです。一番大事なのは、自分がやりたいかやりたくないか。食べていけるかはわからないけどやりたいと思えるか、収入が半分になってもやりたいか、と自分を突き詰めないと進んでいけないし、進んだとしても長くは続かないと思います。やりたいことをやったとしても、食べる糧はいくらでもある。別にバイトをしてもいいですしね。自分が生きていくための収入を得るための手だては、元気でさえいれば、なんとでもなるんです。私は収入はどうあれ、今これをどうしてもやりたいと思ってしまった。生活の不安より、“どうしても”の強さが勝ったということです。人生は一度きりですからね」

過剰な損得勘定は、時に人の前向きな行動を阻んでしまうことも。内側からわき起こる素直な気持ちを大事にしたことが、今につながっているのです。

楽な人生より、
楽しい人生を選んだ

“温泉ビューティ研究家”として独立後は、全国各地を飛び回り、多くの出会いを重ねながら活動の基盤をつくってきました。

「とにかく旅を続けないと自分の書くネタが広がっていかないので、最初はフットワークだけが取り柄でした。毎日が日曜日になったので、いつでもどこにでも行けるわけです。温泉に関する勉強会や集まりがあれば、まず行ってみる。そういうところには、温泉地の方も来ていることが多く、初めて出会った方に『今度行っていいですか?』と聞いて、すぐに出向くようにしていました。ありがたいことに、行く先々で、みなさんが“『温泉で会社辞めました』と言っている変な子がいるので、なんとかしてあげなければ”と、私の行く末を心配して、いろんな方を紹介してくださったんです。すべての仕事はそんな出会いから始まっていきました。もちろん収入は激減しましたが、楽しいという気持ちの方が勝っていて、全然苦労とは思わなかったですね。会社員で毎月月給があるのはすごくありがたいことですが、楽な人生より楽しい人生を選んだということかなと思っています」

和歌山県の熊野・川湯温泉にある仙人風呂を取材中のひとコマ。同じお湯に浸かるだけで、コミュニケーションが弾み、居合わせた人たちもこんなにいい表情に!

研究を深めれば深めるほど、興味の幅はますます広がり、2007年には日本人で初めてドイツで「気候療法士」の資格を取得。温泉だけでなく、自然環境、食、宿といったトータルな視点から、心もからだもきれいになる旅を提案しようと、“ビューティツーリズム”という新しいジャンルを開拓しました。

「最初の一年ほどはずっと液体ばかりを追いかけていました。湯船に注がれている温泉という液体に、どういう成分があって、それぞれどう違うんだろうということに興味があったんですが、それを追いかけて旅を続けるうちに、季節の移ろいの美しさや自然の力に触れ、温泉を旅することって液体だけじゃないなと感じるようになったんです。山、海、森といった周辺の自然環境が、心やからだにどのような影響を与えるのか。そのことを学問として体系化した先生がドイツのミュンヘン大学にいらっしゃることを知り、ぜひ教えを請いたいと、現地の研修会に参加して気候療法を学びました。それからは、旅というものに対する捉え方が格段に広がり、温泉という液体だけの世界から、自然環境も含めた旅全体の中でどういうふうに美と健康を得ていくのかという“ビューティツーリズム”の考え方に行き着いたんです。温泉を肌に直接つけることはもちろん大事ですが、温泉に入ることで体内の巡りがよくなったり、自然を感じることで気持ちが豊かになったり。泉質だけでなく、五感のすべてが肌に影響するんですよ」

温泉ビューティから、ビューティツーリズムへ。そして今、研究はさらに奥深くまで進んでいるそうです。石井先生の飽くなき探究心は、まだまだ留まるところを知りません。

「自分の興味があること以外は興味がない。でも興味があることに対しては、どこまでも深く追求してしまうという性格も一つありますね。そのくせ、あまり一つのところに長くいると飽きてしまうということが、むしろ幸いしているのかなと思うんです。一つのことに興味を持っているけど、だんだん気が散って、周りが見えてくると、周りもおもしろくなってくる。そうすると、また新しい世界が開けていきます。今は地球科学を一生懸命勉強しています。温泉という液体は注がれた結果ですが、よくよく考えると、液体が出てくる源があるはず。地球がどうなっているのかをちゃんと知らなければ、なぜそのお湯がそこに出てるのかということに辿り着けないんですね。もう果てしないんです。たぶんその次は宇宙にまで行ってしまうでしょうね(笑)」

「もうこれが最後」と思い続けて、
通算16回の名物クラスに

豊かな温泉資源に恵まれた日本は、世界屈指の温泉大国。日々旅を続ける石井先生は、これまでどれだけの温泉をまわってきたのでしょうか。

「全国47都道府県はすべてまわりましたが、“温泉地”となると国内に約3,000カ所もあるので、まだまだ行ってないところはたくさんあります。なにせ宿が好きなので、一つの温泉地でもまだ泊まってない宿もありますし、おまけに日本は四季があるので、春は行ったけど、冬は行っていないというところもある。そうするとやっぱり果てしない(笑)。だから10年旅人をしていても、飽きるどころか日々新しい発見の繰り返しなんです」

トルコ・パムッカレで温泉研究中の様子。石井先生の旅は日本の温泉が中心だが、海外にも温泉はたくさんある。頭をリフレッシュするために、時々海外にも赴いているという。

仕事の上では、自分が実際に足を運んだところや体験したことしか書かないというルールを設け、あくまで旅人というスタンスを大事にしています。クライアントの予算がなければ、自腹で行くのが当たり前。「そのことは決してマイナスではなく、むしろ自己投資になる」と言い切ります。その心意気とプロ意識に、石井先生の並々ならぬ信念を感じます。

「温泉クラス」は、丸の内朝大学が始まった2009年からこれまで毎年開催されてきた“名物クラス”。今期で16回目を数えます。

「東京で働いている人たちに、もっと日本中に旅に出かけてほしい。そんな思いからこの講座を始めました。とはいえ、働き盛りの人たちに温泉旅というキーワードがどれだけ響くのか、未知数の世界だったのですが、いざ蓋を開けてみると、意外とみなさんハマってくださって、受講したことをきっかけに旅に目覚めたという方もたくさん出てきました。過去の受講生のみなさんのfacebookの投稿を見ても、毎週のように誰かがどこかの温泉に行っていて、もうすごくうれしいですね。温泉クラスで旅仲間がたくさんできて、どんどん一緒に旅に出かける。そういう現象が丸の内に起こっているというのは、すごいことだなと思っています」

石井先生の豊富な知識と幅広い人脈をフルに活かしたユニークな授業は、多くのリピーターを生んでいます。しかし、ここまでの道のりは、決して平坦なものではなかったそうです。

「こんなに大変なことはもうやめよう、これを最後にしようと、実は毎回思っています。それほど毎回必死で、ほんとに命がけで企画しています。でもみなさんの楽しんでいる姿にいつも励まされて、気が付けば16回も続いていたという感じですね。朝大学は感度の高い素晴らしい方々が集まっているので、私もみなさんから大いに刺激をもらっています。だからこそ、ここまで続けて来られたのかもしれません。こういうチャレンジの場があることは、とってもありがたいですね」

好きを極めれば、人生はもっと楽しくなるーー。石井先生は自らそのことを体現しながら、私たちに何か大切なことを教えてくれているように思えます。人生をもっと謳歌するためには、何から始めたらよいのでしょうか?

「自分がすごく好きと思うものをぜひ見つけてほしいと思います。好きなことがわからないでいる方も、まだまだたくさんいらっしゃると思うんです。私は好きなものに出会えたことで、すごく人生幸せになりました。いろんなところにまずは出かけてみることですね。今の自分の世界からちょっと違うところに出てみるというのは、人生が変わるきっかけになると思います。もちろん会社を辞めなくても、好きなことはできる。好きなことをやるために仕事を頑張ろうとか、月給をもらえるのはありがたいとか、そういう発想になれますからね。好きなことを見つけると人生が広がりますよ。

あと最近行き詰まりを感じていたり、疲れがとれない人は、まず温泉に行ってください。温泉に入ると、幸せがそこから始まります。温泉はスイッチオフができるいい場所なんです。何かを始めたい時は、充電ではなく、まずは“放電”することが大切ですよ」

石井 宏子
温泉ビューティ研究所 代表

温泉ビューティ研究家・トラベルジャーナリストとして取材・執筆、テレビ出演、講演など年の半分は日本・世界を旅する。温泉、食、自然環境、宿で心も体もきれいになる新分野“ビューティツーリズム”を提唱。日本温泉気候物理医学会会員、日本温泉科学会会員、温泉入浴指導員、カリスマ温泉ソムリエ、気候療法士(ドイツ)など。

「温泉ビューティ®」公式URLhttp://www.onsenbeauty.com/

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